初日に持った印象です。ネガティブ注意。
それでも今回でも、3日目には「……これ、慣れたわ…」思ったから。これからまた、わたしの観かたも変わっていくかもしれません。
あくまでも最初に感じたこと。



大石静氏は、ご自身を「タカラヅカファン」だと仰っているようです。

タカラヅカの本公演に於ける規模やら組子の総出演人数やら……把握していらっしゃる上での発言なんでしょうか。

七本槍全員を枠で囲って、一本の→で三成を「気に入らない」。そんな人物相関図の意味が、はっきり分かりました。
皆が三成を「気に入らない」。ちーちゃんが稽古場レポで言ってたよね。
「石田三成さんがちょっと変わった人で孤立してたっていうのをより見せるために、私たちは反石田三成派という」

………。

三成を「より見せる」、そのための七人です。
もっと言ってしまえば、「フクくんと愉快な仲間たち」。
福島さん一人でも充分なわけで。残る六人は、にぎやかしですか。

一人一人なんて、何も描かれてない。
いやゲリラ隊だってなんだって、グループ芝居なんてそんなものかもしれないです。
でも、役割として全員が三成を「気に入らない」だけって、ここまで酷い話もないでしょう。
「個」を出す以前に、「個」を求められていないんだもの。

美しい悲劇の主人公と悲劇のヒロインのせつなく美しい恋愛、それを陰から見守る美しい忍び、そんな物語を大石氏が「タカラヅカ」に求められているのは分かりました。
美しき主人公の美しき生涯、であるのかもしれません。

だけど。組子は80人余いるんだよ。
ハリーだってキムシンだって、いくらなんでももうちょっと数を数えられると思うわ。

個人の扱いをどうこう言ってるのではありません。
わたしが好きだ、宙組に必要だ、と思っている生徒でも、劇団から個人として引導を渡されるような扱いを受ける、そんなことはこれからいくらでもあるかもしれない。それとは次元が違う問題です。
脚本家が、センター以外を描く気がないとしか思えない、タカラヅカの(階段状である)番手という制度、その中途にある生徒たちの立場を全く理解していないとしか思えないから、言っているのです。
外部のかたなんだなあ、所詮、と。
座付きでも酷い例はいくらでもあるけど。それにしてもここまでって。
なんのためのオリジナル作品なんだろう。

ないわー。まじ、ないわー。

それに輪をかけて事態を酷くしているのが、石田演出。
数少ない七本槍の出番が、ほぼお笑い担当っていったい。
芸人じゃないんだよ。タカラヅカのスターなんだよ、七本槍は。

そりゃあ出番も台詞も数ある中で、一部がお笑いならまだしも。
少ない中で、出てくる度に寒いギャグ言わされたりコケさせられたり、ナンバーはお笑いソング、銀橋渡らせてくれてると思えば種違い疑惑発言って、いったい何を考えてるんだ。

それでも七本槍は、(矛盾するようですが)演出面でそれなりに気を遣ってもらっている部分があるのです。
ド派手な衣装、セリ上がりでの登場、そういう面でタカラヅカスターとしての扱いはされています。ビジュアルは美しい。あんな綺麗なお衣装は着させてもらえないもの、意味もなく(ええ、スターです、以外に意味はないですよ)。
そしてみっちゃんの役を三番手というには足りなさすぎだけど、(唐突とはいえ)銀橋での歌といい、最終的な局面(三成への寝返りを持ちかけられる)ではお笑いから外れていたり(他の面々は派手に「えええーーーっ(ドテっ)」ってコケさせられてるし)、最後まで福島さんという通し役であり(それすらない他の七本槍)三成と刀を交える…と、七本槍の中では別格に気を遣われているとは思います。
……わたしが贅沢なのかな。

下級生なんか薄暗い照明の下で陣笠だったり口まで覆わされて、さらに酷い話だもの。
ここ、タカラヅカなんですけど。
宙下級生の判別には絶対的な自信があるわたしでも、かなり厳しいです。体型で見分けろってか(苦笑)。合戦でレオタードだったら、顔隠れててもある程度見分けられますけどね(棒読み)。

ちょっとあんまりだと思うの。


作品をネガティブに捉えるような言い方は、なるべくオモテではしたくない。ほんとうなら。だけど。いくらなんでも。


気に入らない……。

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