主役は俺だ@『銀ちゃんの恋』名古屋オーロラ
2010年9月11日 宙組梅芸・全ツフィナーレで黒燕尾を踊る春風弥里は、主役だ。
別に、対大空さんとか、対悠未さんとかではない。
「主役は俺だ」
みーちゃん自身が黒燕尾に絶対的な自信とプライドを持っていて、「主役は俺だ」……俺かっこいい!俺スター!どやっ!って思って踊っている。それが伝わる。
だから、かっこいい。
ダンスの技術だけの問題ではない。
彼の黒燕尾に対する自意識、そこから出るスターオーラが客席に伝わり、それで彼自身が輝けるのだ。
これを橘で、出せばいいのに。
ほんとうにそれが歯痒かった、橘@みーちゃん。
技術的な言い方をすれば、芝居もできる人だと思う、みーちゃんは。
口跡とか立ち振る舞いとか。外から、いわゆる「巧い」と思わせる人だ。
その技術で、「銀ちゃんよりスターの橘」を演じていた。それなりに。
その反面、素直な人なんだなあと苦笑させられた。
「銀ちゃんよりスターの橘」を演じている、銀ちゃんなんか足下にも及ばない、いまや売れっ子の東洋映画スター橘を技術で演じている中の人みーちゃんは。
「ゆうひさんかっこいい!ゆうひさんスター!」って思ってるのよ(苦笑)。
それが透けてしまうんだもの。
弱い。これは勝てない。
みーちゃんにその意識がある限り、橘は銀ちゃんに勝てっこない。これじゃ話が成り立たないじゃん。どーすんの。
梅田でアオくなった。関東では半ば諦めた(笑)。
芝居が巧いって世間には思われているけど、みーちゃん本人は手探りというか、実はあんまり「演技」って分かってない人なんじゃないかとも私は思っている(笑)。
なんかいつもキャラ変わってるんだよねー、公演の最初と最後で。どうやら最初から綿密な計算式がある上で役に臨むわけではなく、舞台を重ねる中で探りながら創っていっているのだということが、最近漸く私にも分かってきた。
でも、全ツ3週間しかないし。探ってる場合じゃないし。
花組版と比較するわけじゃないけど、めおちゃんすげーなってあらためて思った。
めおちゃんのナルシーは、対銀ちゃんとか対ゆうひちゃんとか、もうそんな次元とは違うもの。あの人、宇宙人だよね(笑)。だからスター橘が成り立っていた。
みーちゃんは正攻法で銀ちゃんと勝負しようとしている、そして最初から負けてしまっている。
それが。
名古屋で。
橘が出てきた瞬間、「あ、違う」と思った。
全然、違った。なにがって、そのオーラが。
「たかが銀ちゃん」で「主役は俺だ」。
橘、えらそーだよ(笑)。
橘、輝いてるよ。
橘、スターだよ。
私が観たかった橘は、これだ。
最初に橘が、こう強く出る。
だからこそ、頭から見下していたはずの銀ちゃんと、「映画人」としての思いを共有し友情で結ばれる瞬間が、熱く私たちの心を掴む。
「悪かった、俺が言い過ぎた……」
その言葉に至るまでに橘の心を動かした、彼が肌で感じた銀ちゃんの真摯な思いを、私たちも共に感じられる。
そして、しがない大部屋役者でしかないヤスを、「映画人」として尊敬の念すら抱くまでの橘の心の変化、これがスポンサーへの魂の一発となり、私たちを泣かせる。
橘がスターじゃなきゃ、これが全部弱くなっちゃうんだもん。
映画への熱い思い。「映画人」としての矜持。
それは銀ちゃんも、ヤスも、専務も、そして橘も。ひとつである、皆のその思い。
橘がスターじゃなきゃ、その思いも弱くなっちゃうんだもん。
でも橘、スターなのよ。スターに変わっちゃったのよ。
だから全然、違うのよ。
私が観たかった橘は、これだ。
名古屋というのは、みーちゃんの地元でもある。
地元に「スター」として凱旋を果たしたみーちゃんの意識の変化なのか、公演を重ねるうちにみーちゃん自身が掴んだものなのか分からないが、とにかく春風弥里初日が開けましたおめでとうございますありがとうございますありがとうございます!!
「主役は俺だ」
そうだよみーちゃん、主役はキミだ(ニヤり)。
別に、対大空さんとか、対悠未さんとかではない。
「主役は俺だ」
みーちゃん自身が黒燕尾に絶対的な自信とプライドを持っていて、「主役は俺だ」……俺かっこいい!俺スター!どやっ!って思って踊っている。それが伝わる。
だから、かっこいい。
ダンスの技術だけの問題ではない。
彼の黒燕尾に対する自意識、そこから出るスターオーラが客席に伝わり、それで彼自身が輝けるのだ。
これを橘で、出せばいいのに。
ほんとうにそれが歯痒かった、橘@みーちゃん。
技術的な言い方をすれば、芝居もできる人だと思う、みーちゃんは。
口跡とか立ち振る舞いとか。外から、いわゆる「巧い」と思わせる人だ。
その技術で、「銀ちゃんよりスターの橘」を演じていた。それなりに。
その反面、素直な人なんだなあと苦笑させられた。
「銀ちゃんよりスターの橘」を演じている、銀ちゃんなんか足下にも及ばない、いまや売れっ子の東洋映画スター橘を技術で演じている中の人みーちゃんは。
「ゆうひさんかっこいい!ゆうひさんスター!」って思ってるのよ(苦笑)。
それが透けてしまうんだもの。
弱い。これは勝てない。
みーちゃんにその意識がある限り、橘は銀ちゃんに勝てっこない。これじゃ話が成り立たないじゃん。どーすんの。
梅田でアオくなった。関東では半ば諦めた(笑)。
芝居が巧いって世間には思われているけど、みーちゃん本人は手探りというか、実はあんまり「演技」って分かってない人なんじゃないかとも私は思っている(笑)。
なんかいつもキャラ変わってるんだよねー、公演の最初と最後で。どうやら最初から綿密な計算式がある上で役に臨むわけではなく、舞台を重ねる中で探りながら創っていっているのだということが、最近漸く私にも分かってきた。
でも、全ツ3週間しかないし。探ってる場合じゃないし。
花組版と比較するわけじゃないけど、めおちゃんすげーなってあらためて思った。
めおちゃんのナルシーは、対銀ちゃんとか対ゆうひちゃんとか、もうそんな次元とは違うもの。あの人、宇宙人だよね(笑)。だからスター橘が成り立っていた。
みーちゃんは正攻法で銀ちゃんと勝負しようとしている、そして最初から負けてしまっている。
それが。
名古屋で。
橘が出てきた瞬間、「あ、違う」と思った。
全然、違った。なにがって、そのオーラが。
「たかが銀ちゃん」で「主役は俺だ」。
橘、えらそーだよ(笑)。
橘、輝いてるよ。
橘、スターだよ。
私が観たかった橘は、これだ。
最初に橘が、こう強く出る。
だからこそ、頭から見下していたはずの銀ちゃんと、「映画人」としての思いを共有し友情で結ばれる瞬間が、熱く私たちの心を掴む。
「悪かった、俺が言い過ぎた……」
その言葉に至るまでに橘の心を動かした、彼が肌で感じた銀ちゃんの真摯な思いを、私たちも共に感じられる。
そして、しがない大部屋役者でしかないヤスを、「映画人」として尊敬の念すら抱くまでの橘の心の変化、これがスポンサーへの魂の一発となり、私たちを泣かせる。
橘がスターじゃなきゃ、これが全部弱くなっちゃうんだもん。
映画への熱い思い。「映画人」としての矜持。
それは銀ちゃんも、ヤスも、専務も、そして橘も。ひとつである、皆のその思い。
橘がスターじゃなきゃ、その思いも弱くなっちゃうんだもん。
でも橘、スターなのよ。スターに変わっちゃったのよ。
だから全然、違うのよ。
私が観たかった橘は、これだ。
名古屋というのは、みーちゃんの地元でもある。
地元に「スター」として凱旋を果たしたみーちゃんの意識の変化なのか、公演を重ねるうちにみーちゃん自身が掴んだものなのか分からないが、とにかく春風弥里初日が開けましたおめでとうございますありがとうございますありがとうございます!!
「主役は俺だ」
そうだよみーちゃん、主役はキミだ(ニヤり)。
コメント